Qu'est ce-que *Tumblelog*

KSQことKaori ShaQueda。
横浜市在住。40歳。
一人。猫三匹。ギター三本

日々よく文字を綴る、ということがなかなか叶わない昨今、「あっ」とか「へぇ」とか「うーん」などと思っても、次の瞬間には忘れてしまう「そのとき心に引っかかったことたち」を雑然とここにスクラップしたり、メモしたりしておこう。というものです。いずれ役立つかもしれないし、そうでもないかもしれない。


 Other Contents :
 ・Monologue 5/18 new
 ・Phototheque 3/11 new
 ・Musique
 ・ネコト



Following:

note:

“鼻づまりを治す6ステップ
ステップ1:深く息を吸う。
ステップ2:吐く息がなくなるまで、ゆっくりと息を吐く。
ステップ3:鼻をつまむ。
ステップ4:頭を上下にゆっくりと動かす。空を見て、地面を見るまで2秒くらいのスピードで。
ステップ5:これをもう息が必要という、ぎりぎりのところまで続ける。
ステップ6:鼻づまりが解消した、空気の通う鼻呼吸を楽しむ。 実際には6ステップどころか5ステップで完了しているというシンプルさ”

Mamá / Mom (by Karen Blix)▼KSQ Note: ピカソさんが私のあごの下で寝ようとする理由 Mamá / Mom (by Karen Blix)▼KSQ Note: ピカソさんが私のあごの下で寝ようとする理由 

Mamá / Mom (by Karen Blix)
▼KSQ Note: ピカソさんが私のあごの下で寝ようとする理由 

“普通だったらね、リッチな上流階級であることを鼻にかけてばかりのグレッグの母親なんか、まっさきにワルモノ認定されて、ラブ・アンド・ピースのダーマの母親の「優しさ」に感化されて、少しずつ「よい方に」変わっていく様、なんかがモチーフにされてしまいそうなところなんですが、グレッグの母キティには、彼女なりの背景や感情や価値観があり、ダーマの母アビーの価値観が、必ずしもそれより優れたものであるわけではない、両者はただ「違う」だけだ、というスタンスは見事に崩れることがありません。  そうした、偏らない視線というのが、主要キャラクター全員に行き渡っており、天衣無縫なダーマですら、嫉妬することもあれば自信喪失することもあれば物欲を感じることもある、要するに365日ハッピースマイルの天使ではない、という描写がなされています。”

キノ2 : 【海外ドラマ】ダーマ&グレッグ/シーズン1

▼KSQ Note: まさに。
私はキティに自分の母を重ねて見ていました。母と私は「違う」のだ。だが、その違いに気づき、受け止めることを知る、そのためのたくさんの機会を与え続けてくれたのが母であり、母は、私と「違うまま」で居ればいいのだと、キティを見ていると何度となく思うのでした。

“「感情をコントロールする」と言った場合、日本人の多くは「辛くても我慢して、自分のやりたいことを諦める」ことをイメージするようだ。それは実は間違っている。本当の感情コントロールとは、「一時の感情に流されず、自分が本当にやりたいことは何だったかを思い出す」ことだ”

“そのまま衰弱していくには、
人生後半の時間は、あまりにも長い。
その長い時間をつまらなく過ごすことが、怖い。
だったら、どれほどつらいとしても、
大変化をしたほうがいい”

ほぼ日刊イトイ新聞 - 目次

▼KSQ Note: 無駄な修練をし過ぎているのだろうか、とここのところ考え込んでいたけれど、「できると信じて、修練を積んでいく」ことはやっぱりやめないでいいのだと、このタイミングにこの言葉を見かけたのは、そういうことだろうかと。

“the “singer’s secret” of vowel narrowing and demonstrates how it can create more ease in singing almost instantly.”

Narrowing Vowels

▼KSQ Note: なんだ、高音で出せない母音は置き換えればよかったのか…と、目からウロコだったのでメモ

“スティーブ・ジョブズ。彼の姿を思い浮かべるとき、トレードマークの黒いタートルネック姿を想像する人は多いだろう。そのシャツが、じつは「ISSEY MIYAKE」のものだったことをご存知だろうか。”

美術手帖 2011年12月号 特集三宅一生「スティーブ・ジョブズが愛用した、ISSEY MIYAKEの黒タートル」より

▼KSQ Note: ジョブズ氏の身体に合わせて、合計1000枚近くつくられたそう…

“まずかたちをつくってそこに身を入れるというヨーロッパ的な服づくりではなく、自分の身体でフォルムをつくり出すことを選ぶ。それは服によるフォルムではなく、布地と身体の間に空気が入ることによって初めて生まれるフォルムである。”

美術手帖 2011年12月号 特集三宅一生「Key spirit 03: 一枚の布」より

▼KSQ Comment: 私がISSEYの服を好む所以その2: かたちありきの服は窮屈で自由度がない。ISSEYの服には「ほら、自分でかたちにしてごらん」というメッセージがあり、たとえそれが「ISSEYの服」ではあっても、着てしまえば自分にしか出せないフォルムの、「自分だけの服」になるという素晴らしさがある

“三宅: 卸しはせず、できるだけ自分たちの店で売ろうと考えています。それは、ひとつには価格を抑えられるという工夫でもあり、また、しっかりとお客さんに説明して、コミュニケーションをとれるということがあるからです。スタッフが「この服はこういう仕組みになっているんです」と説明をしていると、みなさん面白がってくださるんです。そういうことを大切に考えていきたいですね。”

美術手帖 2011年12月号 特集三宅一生「未来への提言」より

▼KSQ Comment: 特に目的も買うつもりもなくお店に入っても、一枚一枚服の仕組みや素材、制作工程、デザイン背景、コンセプトについて説明してもらっているうちに刺激をもらい、たいてい小一時間はそこで過ごし、これから出るデザインのカタログを見せてもらって会話する。そして自分で形にしてみたい一枚(いや数枚)を選ぶ。私が服を選ぶときの工程。これが出来るのはISSEYとGIRBAUDのお店

“三宅: 欧米から糸を輸入して、形だけ考えるというのでは、独自性は出せません。素材をつくり、方法論を持つこと。それが独自性のあるものづくりを考えるうえで重要になってきます。糸は四国の愛媛県松山市でつくり、それを織るのは福井県、染めるのは石川県金沢市です。そして、たたんでプレスをかける工程を、宮城県白石市の工場に頼みました。すべてを機械で済ますのは味気ないと思っていたので、工程のどこかで手作業を入れたかったのです。最後の箔押しは、大阪に数軒だけ残っているうちの1軒で、箔押し専門の工場に頼んでいます。”

美術手帖 2011年12月号 特集三宅一生「未来への提言」より

▼KSQ Comment: 私がISSEYの服を好む所以その1: 独自性へのこだわり

(via 21_21 DESIGN SIGHT)
KSQ Note: 4月までに必ず見に行く。(via 21_21 DESIGN SIGHT)
KSQ Note: 4月までに必ず見に行く。

(via 21_21 DESIGN SIGHT)

KSQ Note: 4月までに必ず見に行く。

“二人の関係が二人にしかわからない理由でずっと続けばいい”

Twitter / ちほ (via michi66f) (via ak47, synr) (via erewwa) (via uessai-text) (via usaginobike) (via hirotakajp) (via 8823dsn) (via nemoi) (via dannnao)

(via sayot) (via fukuku3)

▼KSQ Note: 驚くべきlikeとreblogの数で、一瞬共感しそうになったけれども、思うに、
理由なんてない

“手話で600語以上の単語を習得した
ココというゴリラが研究者のムーリンと
「死」について会話した内容は
次のとおりです

ムー:念を押しますよ、
   このゴリラは生きているの、
   それとも死んでいる?
ココ:死んでいる さようなら。
ムー:ゴリラは死ぬとき、どう感じるかしら?
   --しあわせ、かなしい、それとも怖い?
ココ:眠る。
ムー:ゴリラは死ぬと、どこにいくの?
ココ:苦労のない 穴に さようなら。
ムー:いつゴリラは死ぬの?
ココ:年とり 病気で。

どうですか
僕はこの部分を読んだとき
身震いしたのを覚えています

人間と同じじゃないか と

ちなみに手話の素は英語です
「苦労のない 穴に さようなら。」
の原文は
“Comfortable hole bye.”
となっているようです

良い言葉ですね
「苦労のない 穴に さようなら。」

いずれは僕も
「眠る」 そして
「苦労のない 穴に さようなら。」
といきたいものです”

ゴリラの死生観 | coach-bali (via pinto)

▼KSQ Note: 半年前に自分が書いたこれを読み返すと、私の死生観はどうやらこのゴリラとほぼ同じであるようだ。すなわち「眠る」「心地良い」である。ついでに言うと、「当人はそのことに気付きはしない」のではないか、というのもある。したがって、その瞬間まで何かを楽しみにしている自分であれば、それは何かを楽しみにする延長線上にあり、いつのまにか落ちている心地よい穴なのだと思う。あるとき父にまじまじと言われたことがある。「親が死んでも悲しまんのよ。順番なんじゃけぇ」と。死はだれもの延長線上に必ずある。悲しいものではないのだと。

(Source: tkr, via fukuku3)