Qu'est ce-que *Tumblelog*
横浜市在住。40歳。
夫一人。猫三匹。ギター三本
日々よく文字を綴る、ということがなかなか叶わない昨今、「あっ」とか「へぇ」とか「うーん」などと思っても、次の瞬間には忘れてしまう「そのとき心に引っかかったことたち」を雑然とここにスクラップしたり、メモしたりしておこう。というものです。いずれ役立つかもしれないし、そうでもないかもしれない。
Mamá / Mom (by Karen Blix)
▼KSQ Note: ピカソさんが私のあごの下で寝ようとする理由
▼KSQ Note: まさに。
私はキティに自分の母を重ねて見ていました。母と私は「違う」のだ。だが、その違いに気づき、受け止めることを知る、そのためのたくさんの機会を与え続けてくれたのが母であり、母は、私と「違うまま」で居ればいいのだと、キティを見ていると何度となく思うのでした。
▼KSQ Note: 無駄な修練をし過ぎているのだろうか、とここのところ考え込んでいたけれど、「できると信じて、修練を積んでいく」ことはやっぱりやめないでいいのだと、このタイミングにこの言葉を見かけたのは、そういうことだろうかと。
▼KSQ Note: なんだ、高音で出せない母音は置き換えればよかったのか…と、目からウロコだったのでメモ
美術手帖 2011年12月号 特集三宅一生「スティーブ・ジョブズが愛用した、ISSEY MIYAKEの黒タートル」より
▼KSQ Note: ジョブズ氏の身体に合わせて、合計1000枚近くつくられたそう…
美術手帖 2011年12月号 特集三宅一生「Key spirit 03: 一枚の布」より
▼KSQ Comment: 私がISSEYの服を好む所以その2: かたちありきの服は窮屈で自由度がない。ISSEYの服には「ほら、自分でかたちにしてごらん」というメッセージがあり、たとえそれが「ISSEYの服」ではあっても、着てしまえば自分にしか出せないフォルムの、「自分だけの服」になるという素晴らしさがある
美術手帖 2011年12月号 特集三宅一生「未来への提言」より
▼KSQ Comment: 特に目的も買うつもりもなくお店に入っても、一枚一枚服の仕組みや素材、制作工程、デザイン背景、コンセプトについて説明してもらっているうちに刺激をもらい、たいてい小一時間はそこで過ごし、これから出るデザインのカタログを見せてもらって会話する。そして自分で形にしてみたい一枚(いや数枚)を選ぶ。私が服を選ぶときの工程。これが出来るのはISSEYとGIRBAUDのお店
美術手帖 2011年12月号 特集三宅一生「未来への提言」より
▼KSQ Comment: 私がISSEYの服を好む所以その1: 独自性へのこだわり
(via 21_21 DESIGN SIGHT)
KSQ Note: 4月までに必ず見に行く。
Twitter / ちほ (via michi66f) (via ak47, synr) (via erewwa) (via uessai-text) (via usaginobike) (via hirotakajp) (via 8823dsn) (via nemoi) (via dannnao)
▼KSQ Note: 驚くべきlikeとreblogの数で、一瞬共感しそうになったけれども、思うに、
理由なんてない
ゴリラの死生観 | coach-bali (via pinto)
▼KSQ Note: 半年前に自分が書いたこれを読み返すと、私の死生観はどうやらこのゴリラとほぼ同じであるようだ。すなわち「眠る」「心地良い」である。ついでに言うと、「当人はそのことに気付きはしない」のではないか、というのもある。したがって、その瞬間まで何かを楽しみにしている自分であれば、それは何かを楽しみにする延長線上にあり、いつのまにか落ちている心地よい穴なのだと思う。あるとき父にまじまじと言われたことがある。「親が死んでも悲しまんのよ。順番なんじゃけぇ」と。死はだれもの延長線上に必ずある。悲しいものではないのだと。